鉄道マニアックコラム『ヲタクはつぶやく』

“ヲタク”を自覚する40代・男性の鉄道マニアックコラム

駅跡探索「京浜急行 旧・反町駅跡」

 
 皆さま


 いつもご愛読いただき誠にありがとうございます。
 また読者登録と「いいな」クリックしてくださっている読者の方々、本当にありがとうございます。

 そんなわけで、今日の記事のテーマは廃駅跡(・∀・)

「またかよ(ーー:)いい加減くどいぞっ(;゚∀゚)」

 そう思われたかも(;・∀・)

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 安心してください穿いてますではありません)

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 今日の記事は隣町・横浜市 神奈川区の話題です。

 そういう問題か( ̄□ ̄;)!!

 私が師匠と崇めるユーチューバー、ちゃんあお(青柳 優太)『中2の心を忘れない』をコンセプトとして活動している。

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 自身が中学2年の頃、あちこちの東京都内の鉄道スポットへカメラを手に探索してたな。
 あの当時はまだデジタルカメラではなくフイルム式カメラだった。

 ただあの頃の私はどちらかというと、車両に興味を持っていた。
 無断で車両基地に侵入して、整備員に怒られたこともあったっけ(^▽^;)

 いったい、いつからこんなに廃駅にこだわるようになったんだろう(;^ω^)


 さて、今回訪問した廃駅跡は、

京浜急行 旧・反町(たんまち)駅

横浜市 神奈川区 幸ケ谷)

 現役で稼動している駅に、東急東横線 反町駅があるが、東急 反町駅からは700m以上離れている
 この距離で同一の駅名を名乗っているのもいかがなものだろう(・・;)

 また「反町」という駅名についても、現在の東急 反町駅がある住所が、神奈川区 反町であり、こちら京急 旧・反町駅があった場所は神奈川区 幸ケ谷という住所。

 何故、この場所で反町駅という名がつけられたのか理解し難い(◎-◎;)!!

 1930年(昭和5年)に廃止された。

 既に廃止から91年もの歳月が経過しており、駅の跡形は残っていない。

 そんなワケで昨日の午後、なんらなかの形跡を探しに現地へ。

 

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 いきなり Σ(○д○ノ)ノ 踏切のすぐ横。下り線側に不自然な鉄道用地の空き地が。

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 もしやここが駅舎跡では ∑(〇Д◎ノ)ノ

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 で、空き地の奥のほうを見てみると、なにやら石垣のような塊が。

 あれ、ホームじゃね ∠( ゚д゚)/

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 上り線側から接近してみると。

 

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 やっぱりホームなんじゃないかな?あれ。

 

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 さらに上り線側にも、築堤の上に敷かれた線路の脇より数十センチ間があるのが解かる。

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 現在、雑草が生い茂っている花壇?と言っていいのか?のスペースにホームが建っていたのでは。

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 既に廃駅から90年余りが経過しているので、詳細な情報は京急にも残ってはいないであろう。

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 ただ今回、現地を見に行って私なりに考えた仮説として、ホームは相対式2線構造、改札口は先ほど述べた、下り線横の空き地のスペースに建ち、上下線共有。
 上り線側にそれらしきスペースは確認できなかったため。

 従って上りホームへは駅内で線路を渡って進入していたものと考えられる。

 


車内からの現地の光景はこちらの動画で見られます。
 


 今日の特集は以上です。
 ありがとうございました。

 








駅跡巡り「東海道線 旧・平沼駅跡」


 またもや今回も、横浜市内にある廃駅跡の特集(・∀・)

 「いい加減くどいぞっ(;゚∀゚)」て。

 そもそも多すぎるんだよ(゜д゜#)廃駅が。

 昨日、旧・横浜駅(2代目)の話題を取り上げた際、この至近距離に3ヶ所(2代目横浜駅東急東横線 旧・高島町駅京浜急行 旧・平沼駅)も廃駅跡があるなんてスゴい!と書いた私。

 実はもぅ1ヶ所ありました( ̄□ ̄;)!!

 なんと!たった400mの至近距離計4ヶ所(◎-◎;)!!

 だから多すぎだろ ι(◎д◎υ)ノ

 今回訪問した廃駅跡は、

東海道線 旧・平沼駅跡

横浜市 西区 平沼)

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 但し、今回の廃駅は過去にその場所に駅があったという事実に基づいて訪問したもので、駅舎やプラットホーム等の施設の跡形は何も残っていない。

 

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 場所は4日前の記事で取り上げた、京浜急行 旧・平沼駅より西に200m足らずの所。

 昨日の2代目横浜駅跡の話題の際に、東海道線開業に伴い、初代横浜駅(現・桜木町駅)からだと乗り入れに際してスイッチバックを要することとなるため、2代目の場所へ移設されたと記した。

 それで今日触れるこの東海道線 旧・平沼駅だが、どうやら横浜駅を最初の場所(桜木町)から2代目の場所へ移す際に、移転工事中の間に設けられた暫定駅だったものと考えられる。

 そうなると、相当簡素な造りの駅舎であったであろうと想像できる。
 であれば、現在においてその跡形が残っていないことも無理はないであろう。

 場所は相鉄本線 平沼橋駅隣接地に建っていた。

 まず、相鉄本線JR東海道本線東海道線横須賀線)の両者は横浜駅を出た後、下り方面、西横浜駅を過ぎる所までぴったり並行して走っている。

 それでこちら、相鉄 平沼橋駅上方からの光景。

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相鉄本線 平沼橋駅

 左側に見える黒い建物とプラットホームが相鉄 平沼橋駅

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 その右側に敷かれている4本のレールがJR東海道本線

 JRは今はこの場所に駅はなく、また過去にこの場所に平沼駅が存在していた形跡も確認できない。

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相鉄本線 平沼橋駅

 ということで線路沿いに歩いてみよう。

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 横浜駅方向へしばらく歩くと、線路に隣接してJRが所有しているであろうスペースが現れる。

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 おそらくこのスペースが、旧・平沼駅の駅舎が建っていた場所ではないかと推測できる。

 

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 この場所から東方向を眺めるとこんな光景。
 奥に見えるのが京浜急行 旧・平沼駅。

 さらにそこから少し下り方面に進んだ所に、JRが所有する建物がある。

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 この建物はかつて、JR東日本 労働組合 横浜地方本部の事務所があった建物。
 バリケードで塞がれており、現在は使われていない建物と見られる。

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 もしかすると、こちらの場所が駅舎跡地だったのかもしれないとも考えられる。

 

 










「遺構」旧・横浜駅跡


 今回もまた横浜市内にある廃駅跡の特集。

 お前いったいどんだけ廃駅跡が好きなんだよ(;・∀・)

 

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 旧・横浜駅(2代目)
横浜市 西区 高島)

 

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 世の鉄道マニアたちならご存知の方も多いことでしょう。 

 「横浜駅は過去2回移転した経緯があり、現在の横浜駅3代目

 

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 まず最初の横浜駅が建てられた場所は、現在、JR根岸線で横浜のひとつ次の駅、桜木町駅がある場所。

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JR桜木町駅

 横浜ランドマークタワーをはじめとする、みなとみらい21地区」の最寄り駅として有名。

 

 それで2代目横浜駅は、旧・横浜駅である現・桜木町駅と現在の横浜駅がある所のちょうど中間辺りの場所にあった。

 

 1872年(明治5年)、品川 ~ 横浜間に日本発の鉄道路線が開通した。
 同年中には更に、品川 ~ 新橋まで延伸される。

 

 で、この時の横浜駅というのは現在の桜木町駅のこと。

 

 つまり、日本最初の鉄道路線は現在のJR京浜東北線根岸線ということである。

 

 現在の東海道本線だと思っている人が結構いるようなので、そこは注意が必要。

 

 それで、その後に新たに現・東海道本線の建設が本格的に始まった。

 

 で、今の桜木町駅にあった横浜駅の場所では、東海道本線との連絡に際し、スイッチバックを要することとなるため、直通運転を行う場合に不便が生じてしまう。

 

 そこで1915年(大正4年)、2代目の場所へ横浜駅を移し、保土ケ谷・戸塚方面へ向かう東海道本線と、桜木町駅へ向かう支線とに分岐する駅となった。

 

 こうして大正初期に2路線の分岐・合流地点という役目を担う新生・横浜駅が誕生した。

 

 しかし、それからわずか8年後の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生。

 

 駅舎が倒壊してしまう。

 

 こうして築8年にして、2代目横浜駅は姿を消すこととなった。

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旧・横浜駅 遺構

 それでこちらが2代目横浜駅

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旧・横浜駅 遺構

 現在はマンションの敷地の一部となっているが、このマンションを建設する際に地中から遺構が出土した模様。

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JR根岸線 線路

 根岸線の線路下にあるわけではなく、根岸線から西に数十メートル離れた所にある。
 あくまで駅舎跡でありホーム跡ではないので当然ともいえるが。

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東急東横線 旧・高島町駅

 以前、当ブログでご紹介した東急東横線 旧・高島町駅跡と道路を挟んで向かい合った所。


 距離にしてたった数十メートルの関係 Σ(ОД○*)

 

 じゃぁ、なんで前回その記事を取材しに行った時に、これの存在に気づかなかったんだよ(^▽^;)

 

 3日前に書いた京浜急行 旧・平沼駅跡からも直線で約400mの距離。

 

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 そもそも、この至近距離に廃駅跡が3ヶ所もあるってスゴくない(◎-◎;)!!

 








『昭和の哀愁』JR鶴見線 国道駅


 一昨日の京浜急行 旧・平沼駅に続き、今回も横浜市内にある戦時中の痕跡を遺す駅を紹介。

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国道駅ホーム

 JR鶴見線 国道駅
横浜市 鶴見区 生麦)

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国道15号線第一京浜)から国道駅を見上げる

 駅名の「国道」は駅ホームの真下を国道15号線第一京浜が通っているから。
 そのまんまじゃん(;・∀・)

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 この国道駅だが、開業したのが戦前の1930年(昭和5年)
 現・JR鶴見線の前身、鶴見臨港鉄道の駅として開業した。

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国道駅ホーム

 今年で開業から91年が経つ

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国道駅ホーム

 で、スゴい(゜д゜#)ことは、91年前に建てられた駅舎が今でも使われていること。

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国道駅 高架下

 高架構造の駅で高架下は、「昭和」のノスタルジックさを感じさせる佇まい。

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国道駅 高架下

 私のような昭和生まれの世代にとっては、こういうレトロな光景は哀愁を感じるワケだが、

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国道駅 高架下

 たぶん、平成生まれの年代の人たちは感じないんだろぅなぁ(・・。)?

 

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国道駅 銃弾痕

 それで、国道駅91年間の歴史の中で、途中に「太平洋戦争」の時代が存在する。

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国道駅 銃弾痕

 駅舎の壁には機銃掃射の銃弾の痕が遺されている。

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国道駅 銃弾痕

 

 










JR鶴見線 本山駅跡


 昨日に引き続き本日も、横浜市内にある廃駅跡の話題。

 

 JR鶴見線 旧・本山駅
横浜市 鶴見区

 

 厳密に言えば現・JR鶴見線の前身、鶴見臨港鐵道の駅。

 

 駅名の「本山」であるが、読み方は「ほんざん」
 もとやまではない。

 

 現・鶴見線 鶴見駅国道駅の間にあった。

 

 本山という駅名は、鶴見区 鶴見2丁目に建つ寺院、曹洞宗 大本山「總持寺」の最寄り駅であったことに由来する。

 

 大本山というのはその宗の中心寺院、中核を成す施設であることを意味する。

 

 鶴見駅から鶴見線に乗車し、国道駅に向かって走行する途中に、上下線の間に島式ホームが現れる。

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旧・本山駅跡

 これが旧・本山駅のプラットホーム跡である。

 

 1930年(昭和5年)に設置され、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に廃止された。

 つまり、わずか12年間しか稼動しなかった駅である。

 

 以前、インターネットで鶴見線 鶴見~国道間に廃駅跡が存在するという情報を知り、現地を見に行った私。

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旧・本山駅跡

 車内からもプラットホームと階段跡がはっきりと確認できる。

 

 これだけはっきりと形を残しているので、私は結構最近まで存在していた駅なのかと思った。

 

 最近といっても40~50年前ということだが。

 

 その後インターネットで調べてみたら1942年に廃止されたと記されており、既に廃止から79年もの歳月が経過している w(°0°)w

 

 それだけの年数が経っている割にはよく残ってるなぁ( ゚д゚)と感心してしまう。